以下、目次となります。
今世界で起きていること
①経済的な格差の拡大
現在の日本社会は、貧富の差が拡大している「格差社会」であると言われています。投資や事業で成功して、莫大な富を築いている人たちが増加している一方で、毎月分の生活費の支払いがギリギリという人たちも増加をしています。
なぜ経済的な格差が拡大してしまったのか。その原因は「資本主義」という経済システムにあります。
資本主義とは、企業の経営者が雇用者を働かせることで、利益を出す仕組みのことです。戦後経済成長が続いて、その恩恵が多くの人にまで分配されるような状況が続いている間は、人々は満足し、社会は安定していました。
しかし、資本主義経済が停滞を招く中で、政府が企業に対して規制を緩和・撤廃して、民間の自由で活発な力に任せて経済成長を目指すという、いわゆる「新自由主義」の政策がとられました。
この結果民間への規制緩和が進み、企業が正社員よりも給料の安い非正規雇用者を使用できるようになった結果、働く国民の貧困化が進みました。2020年1~12月の非正規雇用者の年収は、200万円未満が52.8%に上っています。
貧困化のもう一つの要因は、豊かさを求める結果、不足する収入を補うための借金を重ねることで、その最たるものは「住宅ローン」です。膨大な額の30年にもわたるローンを抱える人々は、その借金を返すべく、ますます長い時間働かなければなりません。
残業代を得るために長時間働いて、家族を犠牲にすることが避けられず、場合によっては共働きでも足りずに、昼夜にまたがるダブルワークを迫られることも出てきます。食べたいものも我慢して節約に徹する。これでは何のための生活なのか分からなくなるような人生を送る羽目になります。快適な生活を送るために家を買ったはずなのに、借金が生活苦に拍車をかけることになります。
②資本主義の限界
資本主義とは、価値増殖と資本蓄積のために、更なる市場を絶えず開拓していくシステムです。そしてその過程では、環境への負荷を外部へ転嫁しながら、自然と人間からの収奪を行ってきました。利潤を増やすための経済成長を決して止めることが無いのが、資本主義の本質です。
このように資本とは、価値を絶えず増やしていく終わりなき運動です。繰り返し、繰り返し投資して、財やサービスの生産によって新たな価値を生み出し、利益を上げ、さらに拡大していきます。目標実現のため、世界中の労働力や資源を利用して新しい市場を開拓をし続けた結果、我々は今、我々の生活や自然環境が破壊されるという現実に直面しています。
この行き過ぎた資本の動きにブレーキをかけ、減速しようとするのが「脱成長主義」です。
脱成長主義は、労働を抜本的に変革し、自由、平等で、公正かつ持続可能な世界を打ち立てようとする考え方です。世界全体が「持続可能で公正な社会」へ移行しなければ、最終的には地球が住めないような環境になって、先進国の繁栄さえも、脅かされてしまいます。
気を付けなければならないのは、今のところは、所得の面で世界のトップ10~20%に入っている私たちの多くの日本人の生活は安泰に見えますが、この先、このままの生活を続ければ、グローバルな環境危機はさらに悪化し、その結果、トップ1%の超富裕層にしか今のような生活は保障されないことが懸念されます。
③世界の若者の潮流
アメリカの若い世代であるZ世代(13~22歳)が注目を浴びています。彼らのはっきりとした特徴は、環境意識が極めて高く、資本主義に批判的だということです。実際アメリカのZ世代の半分以上が資本主義よりも社会主義に肯定的な見方を抱いていると言われます。
特に、1990年代後半から2000年代に生まれたZ世代は、デジタルネイティブ(生まれた時からインターネットが身近にある世代)と呼ばれ、最新のテクノロジーを自由に操りながら、世界中の仲間とつながっています。これがグローバル市民(地域社会に貢献する人)としての感覚を育てています。
そして何より、若い世代は、新自由主義(前述)が規制緩和や民営化を推し進めてきた結果、格差や環境破壊が一層深刻化していく様子を体感しながら育ちました。このまま資本主義を続けていても、なんら明るい展望はなく、将来に希望を失っています。今、このZ世代が社会を変えようと動き出しています。
2019年9月、ニューヨークにて開催された「国連気候行動サミット2019」では、スエーデンから参加した弱冠16歳(当時)のグレタ・トゥーンべりが、各国政府の気候変動に対する取り組みの甘さを強く批判し、一刻も早い対策を打つことの重要性を涙ながらに訴えました。グレタのこの演説は世界中の注目を集め、人々が気候変動について深く考えるきっかけになりました。
まさに、グレタはZ世代の象徴的な人物の一人であり、彼女のような個性的なパーソナリティを、Z世代は多様性として素直に受け入れ、支持しています。
使用価値(有用性)と価値(利益性)
①コロナ禍で見えてきたもの
新型コロナウイルスの感染が始まった時、先進国ではマスクも消毒液も手に入りませんでした。
安くて快適な生活を実現するために、あらゆるものを海外に生産拠点を移してきたせいです。またSARSやMERSといった感染症の広がりが、遠くない過去にあったにも関わらず、先進国の巨大製薬会社の多くが利益が上がる薬の開発に特化し、抗生物質や抗ウイルス薬の研究開発から撤退していたことも事態を深刻化させました。
コロナ禍の場合、商品の「使用価値」とは、薬が病気を治す力(有用性)に価値を見つけることであるのに対し、企業が目指す「価値」とはその商品がどれだけの利益を生むか(利益性)にかかっており、資本主義においては、人の命を救うかどうかよりも儲かるかどうかが優先されます。
このような使用価値を軽視した生産の在り方は、気候危機の時代には致命的になります。食料、水、電力、住居等の基礎的生活条件の確保、洪水や高潮等への対策、生態系の保護などやるべきことは沢山あり、利益が得られる価値ではなく、危機への対応等に必要な使用価値を優先することが何よりも求められます。
利益を生み出す価値から、使用価値を優先する経済への転換は、社会の構造を大きく変えることとなります。それは、社会の再生産にとって本当に必要なものが作り出され、金儲けのためだけの、意味のない商品を大幅に減らすことができるからです。
②水道事業の民営化
2018年12月、国会で水道法改正案が可決されました。これによって水道事業民営化の導入が可能となりました。改正の理由は、水道施設の老朽化、耐震化の遅れ、水道事業の運営を行う自治体の財政基盤の脆弱化等が挙げられていますが、本来水は公共的なものであり、企業経営には馴染まないものと考えられます。
水道事業が民営化されると、企業は利益を得るために、システム維持に最低限必要な分を超えて水道料金を設定することが想定されます。要するに、水そのものを「資本」として取り扱い、投資の対象としての価値を増やそうとする考え方が出てきます。
この改正法を受けて、宮城県で水道事業の運営権を民間に売却する議案が本年6月議会に提案され、可決される見通しとなっています。県では2022年4月の事業化を目指しており、実現すれば全国で初めて上水道事業が「民営化」されるケースになります。
運営権の一部が外資系企業にもわたるため、水の安心・安全は図れるのか、競争が失われサービスの質の低下がもたらされるのではないか等の懸念が示されています。
海外でもフランス、イギリス等多くの国、自治体において民営化が進みましたが、2000年~2016年の間に32カ国267の自治体が水道の再公営化を決定しました。その理由は、情報が開示されない、料金は大幅値上げ、お金の流れの不透明性等多岐にわたっています。
日本での取り組みの中で、住民参加の水道サポーター制度を発足させ、住民と職員が意見を重ねながら、今の水質を維持し、未来の子供たちに安全な水道を残すという市町村の取り組みが注目されています。
②ブランド化
使用価値はほとんど変わらないのに、人々の欲望を不必要に喚起し、消費に向かわせるものにマーケティング、広告、パッケージングなどがあります。無限の消費に駆り立てる一つの方法が、ブランド化です。広告はロゴやブランドイメージに特別の意味を付与し、人々に必要のないものに本来の価値以上の値段を付けて買わせようとします。
その結果、実質的な「使用価値」に全く違いのない商品に、ブランド化によって商品に差別化が図られ、ありふれた物が唯一無二の魅力的な商品に変貌します。ブランド化は、商品を差別化することで、他人よりも高い社会的ステータスを得ようとするものです。例えば、みんながベンツやロレックスを持っていたら、ダイハツの軽自動車やカシオの時計と変わらなくなってしまいます。
ベンツの社会的ステータスは、他人が持っていないことに過ぎず、車としての使用価値はベンツもダイハツも全く変わらないということです。
このブランド化や広告に係るコストは、莫大なものがあると言われ、マーケティング産業は、食料とエネルギーに次いで世界第三の産業になっています。商品価格に占めるパッケージングの費用は10~40%と言われており、化粧品の場合、商品そのものを作るよりも3倍もの費用をかけている場合もあると言われます。しかし、商品そのものの使用価値は結局何も変わらないものとなっています。
脱成長主義への転換
①GDPと人間の幸福度
独仏や北欧などのヨーロッパ諸国の多くは、一人当たりのGDPがアメリカよりも低くなっていますが、社会福祉全般の水準はずっと高く、医療や高等教育が無償で提供される国がいくつもあります。
一方、アメリカでは無保険のせいで治療が受けられない人々や、返済できない学生ローンに苦しむ人々が大勢います。日本においても、日本の一人当たりのGDPはアメリカよりもずっと低いものですが、日本人の平均年齢は、アメリカよりも6歳近く長くなっています。
このことは、いくら経済成長しても、その成果を一部の人々が独占し再分配を行わないなら、大勢の人は蚊帳の外に置かれ、不幸に見舞われます。逆に言えば、経済成長しなくても、既存の資源をうまく分配さえすれば、社会は今以上に繫栄できる可能性があるということです。
②脱成長主義が目指す社会(以下「脱成長社会」という。)
資本主義のおかげで、生活は豊かになったように見えますが、そこで追及されているのは、際限のない物質的欲求を満たすことです。食べ放題、シーズンごとに捨てられる服、意味のないブランド化等動物的欲求に縛られています。
脱成長社会は、そうした物質的欲求から解き放たれ、相互扶助的で文化的な活動の領域を目指すことが求められます。その領域を広げるためには、人々を長時間労働と際限のない消費に駆り立てるシステムを解体し、生産は少なくても、全体としては幸福で、公正で持続可能な社会へ向けての「自己抑制」を自発的に行う社会に向かうことが必要です。
そこでは、例えば、芸術、文化、友情や愛情、スポーツなど人間らしい活動を行うために求められる社会です。
脱成長社会は、労働時間の短縮が重要なキーワードとなります。ここでは、金儲けのための、意味のない仕事を大幅に減らすことができ、社会の再生産にとって本当に必要な生産に労働力を配分することになります。
例えば、マーケティング、広告、パッケージングなどによって人々の欲望を不必要に喚起することは中止され、コンサルタントや投資銀行も不要となります。
必要でないものを作るのを止めれば、社会全体の総労働時間は大幅に削減できます。労働時間を短縮しても、意味のない仕事が減るだけなので、社会の実質的な繁栄は維持されます。労働時間の短縮は、ストレスを減らすし、子育てや介護をする家庭にとっても役割分担を容易にするはずです。
③人間らしい労働の回復
労働時間が短縮されても、労働の中身が退屈で辛いものであったら、人々はストレス解消のために消費主義的活動に走ることが予想されます。
ストレス解消は、人間らしい生活を取り戻すために不可欠なものです。事実、生産現場を見ればオートメーション化の進展等で、労働の単調化に拍車をかけています。結果的に、労働以外の時間において、創造的で社会的な活動を目指すこととなります。
しかしながら、労働が魅力的な労働、言い換えれば個人の自己実現であるための創造的な労働であれば、労働の苦痛、無意味さをなくすことになります。
つまり経済成長のための効率化に資する労働、いわゆる利益優先の労働ではなく、やりがいや助け合いが優先される労働であるならば、労働者の活動の幅が広がり、労働者の地域貢献等も含めた多様な生活設計が可能となります
エッセンシャルワーカーが世界を救う
利益を生み出す価値から、使用価値を優先する経済への転換が必要であることを前述しましたが、一般に機械化が困難で、人間が労働しなければならない部門を、「労働集約型産業」と呼んでいます。脱成長社会は、この労働集約型産業を重視する社会に転換することで、その転換によっても、経済は減速していきます。
この労働集約型産業の主役がエッセンシャルワーカーです。エッセンシャルワーカーとは、「私たちの日常生活における、必要不可欠な仕事を行う人」と理解されていますが、その代表的な職種として、医療従事者、介護福祉士・保育士、スーパー・コンビニ従業員、バス・電車運転士、ゴミ収集員等が挙げられます。
労働集約型産業では、画一化やマニュアル化を徹底しようとしても、求められている作業が複雑で多岐にわたるため、イレギュラーな要素が数多く発生し、画一化に馴染まないものとなっています。この労働こそが、「使用価値」を重視した生産であることを物語っています。
例えば、介護福祉士は単にマニュアルに即して、食事や着替えや入浴の介助を行うだけではなく、日々の悩みの相談に乗り、信頼関係を構築するとともに、わずかな変化から体調や心の状態を見て取り、柔軟に、相手の性格やバックグラウンドに合わせてケースバイケースで対処する必要があります。保育士や看護師も同じです。
この労働は、相手の感情を無視したら台無しになってしまうので、ケアやコミュニケーションに時間をかける必要があり、何よりもサービスを受給する側がスピードを望んでいません。
したがって利益を優先する経営者は、労働集約型の労働は生産性が低く、高コストとみなし、現実には無理な効率化を求めたり、理不尽な改革やコストカットを求めたりします。したがって、「使用価値」を重視する社会、すなわちエッセンシャルワーカーがきちんと評価される社会が求められます。
エッセンシャルワーカーが経営者の無責任さに我慢がならず、立ち上がった事例があります。それは保育園の経営悪化を理由に、突然閉園するという理不尽な行為に対し、保育士たちが、子ども達やその保護者達への影響の大きさを深く憂慮し、NPO法人の力を借りて、保育士達自ら行う自主営業の道を選択しました。
その結果、事業継続は可能となり、経営者はいなくなっても経営は可能だという証明を行う結果となりました。このことは、実質的な保育所の経営を行っているのは、もうけ主義の経営者ではなく、保育士たち自身が担っていることを表しています。こうした事例は、他にも様々な分野で見られるようになり、今ではSNSで拡散されて、人々の支持を集めるようになっています。
このようなエッセンシャルワーカーの新たな動きは、脱成長社会への萌芽を秘めているものであり、民主主義的な相互扶助のコミュニティ形成を通じて、脱成長社会への道が開けているといえます。
この記事でのポイント
・貧困化のもう一つの要因は、豊かさを求める結果、不足する収入を補うための借金を重ねることで、その最たるものは「住宅ローン」である。
・脱成長主義は、労働を抜本的に変革し、自由、平等で、公正かつ持続可能な世界を打ち立てようとする考え方。
・Z世代は、デジタルネイティブと呼ばれ、最新のテクノロジーを自由に操りながら、世界中の仲間とつながっており、これがグローバル市民としての感覚を育てている。
・グレタはZ世代の象徴的な人物の一人であり、彼女のような個性的なパーソナリティを、Z世代は多様性として素直に受け入れ、支持している。
・脱成長社会は、労働時間の短縮が重要なキーワードとなる。金儲けのための、意味のない仕事を大幅に減らすことができ、社会の再生産にとって本当に必要な生産に労働力を配分することになる。
・利益優先の労働ではなく、やりがいや助け合いが優先される労働であるならば、労働者の活動の幅が広がり、労働者の地域貢献等も含めた多様な生活設計が可能となる。
・労働集約型産業の主役がエッセンシャルワーカーである。
・エッセンシャルワーカーの新たな動きは、脱成長社会への萌芽を秘めているものであり、民主主義的な相互扶助のコミュニティ形成を通じて、脱成長社会への道が開けている。